コンテキスト / Context

わたしはこの国で生きている!

と実感できるくらい暮らしが動き始めました。


すべての歯車が一斉に回り始めました。



大学の授業も難しく(楽しく)なり友達も増え

中間テストを終えたところ。


参加するオーケストラが決まり

トランペットをあたためはじめたところ。


アルバイトが2つ決まり

旅行会社とレストランで

働きはじめたところ。



落ち込み期に、

孤独から来る行動力でむやみに応募した

グローバルコミュニティとやらで

なにげに友達が増えたところ。


また同様の理由で

パートナーシッププログラムという

大学内の現地学生と留学生4人が

定期的に遊ぶ謎の会に登録したため

毎週活動中



など

まちのことも覚え、

社会との接点も増え、



「なんにもすることがなさすぎてつらい期」に

組んだ土台に、

次々とコンテンツが載せられていっています。

(今思いかえせば希望していたことを体験できたようだ ↓↓ )




ところで

大学のプレゼンテーションの授業の教科書に、

国別のコンテキストの高低について載っていた。


コンテキストとはつまり

要は「空気を読む」かどうかの話



もちろん日本はコンテキスト最高レベル



スイスなど北欧は低め(直球で会話する)らしい



教科書に

「日本人はNOと言っていても

本当はNoじゃないことがあるので気をつけること」

って書いてあって笑った




そんなこと言われてもカナダ人は

気をつけられるのか?と思った




ちなみにカナダは中間に近い

低コンテキストの国に部類されていた



クラスメイトのメキシコ人の女の子がいる。

メキシコは割とコンテキストが高めらしい。

スイス人の男性と付き合っている。

スイスは超低いコンテキストの文化。



だからコンテキストの違いのせいで

最初は文化のすり合わせが難しかったと言っていた。




カナダ人の環境のなか

例えばオーケストラのみんな、

また過去のルームメイトたち、

現在の職場の同僚たち、


思い返してみると

日本人に比べてやはり低コンテキストのため、



わたしのなかで、

そうなのか、

と落とし込むプロセスがあった。




結局

「言ったことがすべて」で

「言ってないことは無いのと同じ」



必要なら言う

思っていないなら言わない


行間とか無い

行間とか読まない


空気を読むの「空気」が

限りなく存在していないに近い

(人によっては存在していることもある)





そう思うと

あれ、そうか

なんか聞いたことあるなこの理論、






あれだ

ソリッドとリキッドの話だ

と解釈した


どんどん肌感覚が言語化されていく




私は自分の文化の源泉をリスペクトしているし、

同時に

英語を話す人の中に流れる文化も理解したい



だから理屈で言語化して

自分なりに解釈していく





だけど性格の土台は「感覚」の人なので、

どこかで「どうでもいいじゃないかそんな理論は」

とも思っている




そうやってなんとなくの感覚と

意外と言葉でくくりたがるような

微妙なバランスとめんどくささで

構成されている感性のため



それを発散するために

このウェブサイトをつくったのだ



だから総じてこの思索プロセスを

自信をもって正当化しつつ、




また今後ちがうアイデアに

インスパイアされて考えが変わる変遷を

楽しみにしている








MASAMI TERAMACHI

カナダ・ビクトリアに住む岐阜大好き人間の感情ブログ