比べること

バンクーバーでの語学カレッジでも、

ビクトリアでの大学でも、


メキシコ、ブラジル、コロンビアなど

南米出身のともだちと話す機会が多く

例外なくみながよく言うこと。


「カナダ人って冷たいよね」



そりゃ、あんたたちに比べりゃ

そう思うでしょうよ

(南米メンバーは特に声も大きく明るいので)



と思って聞き流していたけれども

なんども繰り返し耳にするので

考えてみることにした





日本人が外国に行ってみんな言う

「海外の人ってフレンドリーだよね」

「あたたかいし

みんな話しかけてくれるし優しい」



日本人あるあるの

全員ひっくるめて ”海外” って言っちゃう

必殺「日本とそれ以外 思考」!



でも実際のところ、

カナダ(といっても私が知っているのは

西海岸だけだけれど、)

の人は話しやすいしフレンドリーだと思う


とはいえそれは

英語話者のカルチャーの一部という認識だけれど。





南米メンバーのコメントとしては、

・カナダ人は冷たい

・それぞれが生きていてお互い距離がある

・ハグが少ない(実際アメリカ人に比べて少ないと思う)

・まちが死んでいるように見える

・楽しさが足りない

・もりあがりにかける



などなど





それはあなたが見えている世界と人脈が

そうなだけであって「カナダ人」とくくるのは

浅はかなのでは?



という指摘は一回飲み込んで


彼らがそう感じていることをおもしろいと

思ってみた。




その会話をききながら、

やっぱカナダは南米よりは

寒い国だからキュッと縮まるのかな?

南米は温かいから開放的にバーン!となるのでは



と思ってそれっぽいことを言ってみたら、

横にいたロシア人の子が

「ロシアだって寒いけどもっとみんな優しいわよ!」

と発言した






いや、ロシアこそ、あんたたち…、

と思うところを飲み込んで聞いてみると


彼女も同じように感じていたらしい

「カナダ人は優しくない」






なんなんだろうその意見


わからないでもないしわからない



でもつまり、個人主義が強い

自立した個々の集合体なので、

mingle 感がないのは事実




それが好き、

それが居心地良い、と選ぶ人もいれば

イヤダイヤダと言っている人もいる






嫌なら帰ればいいじゃない

と私は思った






だからそうやって言ってみた


そして言われたのは

「自分の国にいたら幸せになれないから。」


彼らは安全や将来性を考えて、

自分の国よりもカナダで生きることを選び

自分の国を捨てて移民目的で来ているのだ





なんだろうと結局

ここ(カナダ)にいるほうが安全で

ベターなライフを送れるんだって。


「日本っていい国なんでしょう?

なんでわざわざカナダに来たの?」




カナダで学んで日本に持ち帰りたい

ここで一旗あげる、

でも日本に帰ってからも楽しみな第2ステージ


そんなスタンスのモチベーションを言うと

「へえ〜」って言われる



そうだね。

言ったそばから自分でも

いろいろ思うけれどなんともいえない






カナダの東海岸、トロントは都会。

西海岸のバンクーバーはトロントに比べると田舎。


トロントとバンクーバー、を天秤にかけている人は多い



でもわたしが今いるビクトリア、

バンクーバーに比べると田舎。


でもビクトリアの中にも周辺の小さい町があって、

そこに住んでいる人たちは、

「ビクトリア中心市は都会、ぼくらは田舎」という。





都会と田舎という、区切り方の無意味さ。

相対基準でしかないのに

でもなんでもそういうこと



相対基準じゃなくて

絶対基準で

いまいる足元の魅力に目を向けたら

わたしのまちを好きになる、

という卒論を大学のときに書いた。




そのときとわたしの関心アンテナは

まだ変わってないんだな、

とにこにこ



おもしろいおもしろい




結局、なにごとも人によるわけ。

1人1人バックグラウンドがあって、

文化もちがって


おなじ国籍でも両親のスタイルで

考え方は変わるから一概に「国風」ともいえないし


なにと比べるかで変わるし

比べたいタイプの人と

比べないタイプの人もいるし



そうなってくるとそのダイバーシティと

ダイナミクスにわけわからなくなるけど

それもまたおもしろきかな。




こういうアイデアや出来事は

留学して実際に外国に住まないとできないから

貴重な経験だよね、とか言われるけど


いいえ、別に日本にいても経験することはありますし。



となってくるともはや、

自分のこれまでの見聞とわずかな経験で

ものごとを断定形で発言したり論じることが

なんて浅はかなんだと思ってしまうけど



それもまたちがって

そういうことを仕事にしている人がたくさんいるから

そういうふうに言ってしまうことも違う



すべてを把握掌握して世界を知り尽くした人なんて

いないんだから、目の前の縁するひとりひとりと

対話しながら信頼を結んで学んでいくひとつひとつに価値あり






えらそうに語るのではなく、

自分よりすごい人は五万といますので

私の知っている小さい範囲ですけれど

語らせていただきます、

という謙虚な姿勢で語る

実のある見聞トークは面白いし勉強になるし

心に素直に入ってくる





偉大な人ほど謙虚というのはそういうことか

自信に裏打ちされた真の謙虚さ



とはいえ、

自信ありげにそれっぽく断定形で話すことで

生まれる「ことだま」と

聞く人の心を動かすパワーのことは知っている



それだけが重要なキーとなる場面もある



そうなってくると、

もう考えるのやめれば、と思うけれど

わたしは別に悩んでいるわけでもなく、

いつもたくさん考えているわけでもなく、


ただ意図的にブレインストーミングをして

文字でおこすという作業をしているだけ



毎日ひょうひょうとカナダで

学んで働いて遊んで生きています。




MASAMI TERAMACHI

カナダ・ビクトリアに住む岐阜大好き人間の感情ブログ