日本人でいこう

かんたんに言えば、


ずいぶん久しぶりに「落ち込み期」に入っていた。

ずいぶん沈み込んでいた



こういうつらい時期は久しぶりだった。

この1年以上、とくに停滞することがなかったから



久しぶりにようやっと

人間的バランスがとれてプラマイゼロ、

そんな気持ち





結論を言うとその落ち込み期は

今まさに終わりを迎えているところ




つまりこのあと爆発的な躍進期がくるぞ

心して待ち構えよ





これまでブレーキ無しに

走り続けていたすべてのセクターに


突然ストップがかかったようだった。




すべてのアクティビティが

止まり、することが全くなくなった




わたしがいちばん恐れていた

「することがない」日々を過ごしてしまった



基本的に、

日中はあらゆるアポイントを

立て続けにこなし家には寝るためだけに

帰ってくるのがわたしの安定スタイル




それが内的外的理由により崩壊し、

平日は大学に行くにしてもそれ以外は

活動ゼロ。

3日間予定なく家で過ごすなんて週末もあった




そんななか色々な思索にふけり

わたしなりの方法でアウトプットしながら




どうやらカナダに着いてからの

この約5ヶ月、

無意識にもがき戦ってきたことの

新展開が見えたみたい






わたしはわたしを肯定しよう

何者にも成る必要がない




一生懸命カナダ人になろうとしていた

英語もふるまいも

カナダ人と同じ「感覚」を

手に入れることに注力してきた



そのプロセスで成長と学びを経てきたけれど




それを超越して、

「日本人」でいていいのだと

やっと本当に思えた




「日本人、って感じの」発音、

「日本人、って感じの」シャイさ、

「日本人、って感じの」ぎこちなさ、


を小馬鹿にしたニュアンスで

暗に否定しながら

「わたしは違う」と

やってきたけれど、





わたしは日本人なわけで


日本人としての美意識を

愛でているひとりにもかかわらず、



またこの国で出会う日本人を

誰よりも意識して「視」ていたのは

他ならぬわたしなのに




わたしもそんな「日本人」の一人でしかないのに、

何かを必死に守りながら

「わたしは違う」と粋がっていた

ことに気づいた







どうでもいい。

人がどう思おうと




どうでもいい。

英語が完璧じゃなかろうと



どうでもいい。

外国人だとバレようと






人間性が美しくて

笑顔が素敵で

自分らしく話せれば

やっていける国だった



そうやってみんな生きているのに

なにを怖がっていたんだろう






「日本人ですか?♪」と

日本語で聞いてくる日本人を嫌い、


日本人だとわかればすぐに

英語から日本語に切り替えてくる

日本人を軽蔑していたけれど、





どうでもいいや




カナダ人に

「あなたの英語は上手ね」

「日本人のアクセントがないね」

と言われるたび

いい気になっていたけど

どうでもいいや





日本人のアクセントを

消滅させることはゴールなのか?

…… No だった

Yes だけど、

でも実際 No だった




「あなたの英語はとてもきれいだけど

日本人のアクセントがちょっと残っていて

それがまたセクシーよね」

って褒められたことがあった





アクセントは

アイデンティティなのか。





もう英語どうこうの話ではない


人の評価を気にして

自分の評価を気にして

怯えてトライしなくなった、

気弱な自分に絶望していたけれど、





これは言語を超えて

「自分」と向き合う問題であった。




そしてこの落ち込み期は

そんな、貴重な思索期であったと

結論づけた





さて、

あとひとふんばりしたら、

次が見えるぞ



今に見よ