外国に暮らす

外国で暮らす、
と外国に暮らす、
って日本語なにがちがうんだろう


日本語を勉強している外国人に
聞かれてもたぶん答えられないけど

今回は外国"に"暮らす、なキブン


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3回めのカナダでの生活、
今回の留学も気づけば来てから
1年を迎えようとしている。



ふとしたときに「外国で暮らしている」
実感がまったくもてない時がある


毎日のルーティンができて、
現地のコミュニティで活動すればするほど、
今ここにいることが
なんら特別なことでは無い気持ちになる



いつも日本や地元のことを想うし、
SNSで情報をチェックしているけれど、
自分の本拠地は今ここ、という自覚。


日本にいるときは「外国」って
とても遠くにあって、
想像するだけでスリリングだったけれど、

住めば都ってほんとにそのとおりで
「田舎から上京して1年たったら慣れた」
のと大差は無いかもなあって。




ずっとネイティブの人への恐怖心があって、
目を見て話すのが怖かった

非ネイティブには堂々と話せるのに
ぺらぺらぺらぺらーと早く喋る
ネイティブたちの青い目に怯えていて、

うまく英語が話せなくなる
自分を感じていた



でも最近は相手を
「人」として見れるようになった

「外国人ってみんな陽気だよね」とか
自分のなかで存在していた
ステレオタイプも
違うよって諫められるようになった


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「カナダ人」って
フレンドリーだと思っていたし、

ワーホリ時代からの
バンクーバーの友達たちは、
みんな優しくて心の距離が近いから、

「カナダ人って冷たいよね」
って言う人の意味がわからなかったけど、

最近ちょっとわかった。

初対面だと距離があって、
思ったより近寄ってこない人が少なくない

表面的な会話より先に進めない


自分たちのパーソナルスペースを
固持するし相手にも
同じだけスペースを与えようとする


お店とか、
接客はフレンドリーな文化。
だって仕事だからね

「今日いい天気ね」
「そのイヤリング素敵ね」
みたいなパーソナルスペースを
侵害しない話題なら
無限にフレンドリーに扱える



でも個人の関係だと、
そこまでじゃない。

日本人と同じくらいじゃないか?
と私は思う


関係が築かれるまでの
個人と個人のやりとりは
表面的なコミュニケーションが続く。


その期間、
すこし冷たい感じがして
心が通いあってない感じがして
すこし寂しい



でも時間をかけてリスペクトをもって
しばらく過ごすと


急に心がほどけた様子をみせ
「ともだち」みたいに接してくれるようになる 。



わりと時間がかかる


シャイとは違う別の性質


時間がかかる
一見さんお断りの店みたいなかんじ。



もちろん全員ではないけど、
(最初から旧友みたいな人はもちろんいる)

ビクトリアに来て出会った
カナダ人の方々はそんな性質の人が多くて、


でも時間をかけながら

すこしずつ私を信頼してくれる
カナダ人の友人がビクトリアでも増えた



バンクーバーの友達が優しいのは
そうか、
時間かけて築いた関係だもんな、
ってまた気づく。




1年たってそれなりに
いろいろ戦い
いろいろ進んでいるのだろうか


下半期もまた一歩ずつ前へ
価値的に2020年をすごす



2020年8月のおわり

MASAMI TERAMACHI

カナダ・ビクトリアに住む岐阜大好き人間の感情ブログ