わたしはソリッド#2
(わたしはソリッド #1 からの続き)
人の話を聞くとき、
相手の意図や言わんとしていることを、
瞬時に感じ取れる人と全然チャンネルが合わない人がいる
同じくカテゴライズすることにすまない気持ちはありつつも、
リキッド(液体)の人はチャンネルを合わせるのが早い
ソリッド(固体)の人は時間がかかったり一生チャンネルが合わない一定数の相手がいる
他人が話しているのを遠耳で聞いていて、
一方の人が全然理解していない、
そして話している方も伝わっていないことに苛ついて
一生懸命おなじ説明を繰り返している会話がおこなわれていたとき、
全然関係ないわたしが、なぜか両者の状況と思いを理解できる時がある
会話に行って入って通訳してあげましょうか?!
と思うときすらある
我ながらなんとも上から目線な、と面目ないですが
よくある
特に、語学学校でネイティブの先生と日本人の生徒の
噛み合わない、伝わらない会話を聞いているとき、
それはもはや英語力の問題ではない、
チャンネルが合わないだけなんだあのふたりは
と諦観するときがあった
それはソリッド(固体)同士の会話だったからなのかもしれない
ソリッド(固体)の人もリキッド(液体)の要素をもちろんもっている
逆もしかり。
一方の中にもう一方もあって互具の状態
だけど男性ホルモンと女性ホルモンとか、
酸性とアルカリ性のPHとおなじことで
どちらが強か弱かとかそういう話。
結論を言うと、
リキッド(液体)が強の状態で海外に住むのは無理だ。
私の素地は完全にリキッド(液体)。
それがアドバンテージ(=優位性)となって海外に住みやすい、
「海外が合ってそうな人」なフリをすることはできるけれど、
この国を見回したとき、明白にソリッド(固体)の人しかいない
そもそもカナダ人はソリッド(固体)が多い
というか英語話者の特性としてソリッド(固体)が強い
そしてカナダに移民し長くこちらに住んでいる日本人、
ソリッド(固体)。
ソリッドだからここにいられるんだな、
とすら思う時がある
もちろん、
素地はリキッド(液体)だけどソリッド(固体)の要素を持ち合わせることに成功して
(または生き残る上で習得せざるを得ない状況を乗り越えてきた、など)、
外身だけソリッド(固体)なだけの人はいると思う
だけど、デフォルトでソリッドの国民たちと対等に生きていきたいとき
リキッド(液体)の自分ではつらすぎる!
だからわたしはソリッド、と最近一生懸命自分を鍛えている
(わたしはソリッド#3に続く)
0コメント