アジア人とか

19歳の時はじめて海外留学したバンクーバーで

図書館の階段に座っていたら

「ジャパニーズ、ビッチ!!」と言われたことがある。


いろいろな思慮のきっかけになった出来事で

結構ショックだったし今も覚えているけれど、


だからといって、だから、のあとに

出てくることは私の頭には無かった



コロナが始まった時、

バス待ってて「お前コロナ持ってんのか?」と聞かれたとか、

スーパーの入り口で警備員さんが

自分が通る時だけドア開けてくれなかったとか、

道で「外国人出てけ!」と言われたとかさ、


友達からそんなことがあったと聞いたけど、

だからといって私は何も思わなかった


まあ、そういう人もいるんじゃない?

全員がそうではないし

だからどうとかないよ


と思った



人からアジア人差別(と感じた、というエピソード)に

関する話題を聞く時、

うーん、って言ってもねえ

個々人の感情をカテゴライズした話だろうし、

と思っている



私自身、

完全カナダ人環境のレストランで

アルバイトしている時、

正直なところたまに思うことはあった。


アジア人だから、というよりも

ひとりだけ外国人だから、

ひとりだけ英語がペラペラじゃないから、


だから話に入れないんだろう、と

だからノリが違うんだろう、と


どうせわからないだろう、という気遣いで

誘われないんだろう、と


わたしは新人だから

聞いてるしか無いんだろう、

聞こえないふりするしかないと




思った時は悔しくて惨めで悲しい


でもだからといって

それは自分の心の戦いであって

それが差別と思ったりとか、

彼らへの感情を抱いたことは無い

(あるのかなあ、無いと思うなあ)



アジア人だから若く見られるから、

私よりも10ちかく年下の子たちに、

こどもに話しかけるような口ぶりで

指示されたり世話される時もある



アジア人だからよく働くし、

真面目に受け止めるし、

(もちろん人それぞれだけど

おおかたそういう傾向にある)



だから、みんながおしゃべりしてるのに、

私ひとりトイレ掃除を毎回させられるとき、

むなしく感じるときは正直あった




でもそれはさ、

たまたま役割的なこともあり、

職場カルチャーでもあり、

別に深い意味は無いというか、


わたしにしかできない仕事をしよう、

と一生懸命働いていたら、

そして時とともに慣れていったら

大したことでは無くなった



みんなの輪に入れるようになったり

自分が新しい子に教えたりするような

立場になって、



視野も広がって、

そういうことだったんだね、って

わかることもあったし、


いい意味で

全部真面目に完璧主義にならなくても

いいんだな、って


どうやって肩の力抜いて

楽しそうに働けるかも

彼らからよいバランス感覚として

学ぶことができた。



だけどそんな状態になった今も、

「ああ、わたしは本当にアジア人だな」

ってむしろ自分が、

強く自覚するようになった



アジア人の友達の中にいると、

「ああ私は本当に日本人だな」

ってまた自覚が深まる




そうやって自分を必要以上に

カテゴライズして

自分の価値を制限したくないけれど、

アイデンティティは日に日に深まる。




とにかく真面目にいることよりも、

フレンドリーであることとか

いつもハッピーで明るいエネルギーをまとっているとか

おしゃべりが面白いとか、


そっちのほうが評価されることもよくある

(まあそれはそうか、とも思うし、

いやそうではない日本社会はやっぱり否定できないよ

とも思うし)


アジア人は一生懸命働くから、と

重宝される職場もあれば、


アジア人は全部真剣にやるからつまらない、とか

全部ひとりでやってしまうから、

他の人の仕事が無くなる、



とかそういう意見もある




だからといってね、

わたしはわたしを否定できないし


アジア人が全員一生懸命働くわけじゃないし

アジア人じゃない人が真面目じゃないわけじゃないし




周囲の友人でいろいろな悩みや考えを言う人はいるけれど、

カナダは、少なくとも私の今いるエリアは

リスペクトで接してくれる

とても恵まれた環境ではないか



性犯罪とか法的な扱いの差とか、

いろいろなことで

悲しい事実はある地域は

たくさんある。



一方、


カフェとかお店で、

お客さんひとりひとりと一言二言

トークするタイプの店員さん(現地人)が、

自分にだけは話しかけてくれなかったとか(笑)



レストランに入ると

たくさん席があいているのに

いつもトイレ横のテーブルに

案内されるとか




たまたまだろう、

と思いつつも

何度もあって「これってもしかして、」

って疑ってしまうことはやっぱりある



オーケストラの練習に参加していて、

新しい指揮者が来て合奏したとき、

私は透明人間なのかな、

あれ、彼に私は見えてないのかな?

と思うくらい露骨に冷たくされた時は

さすがに嫌だ、と代表の人に言った




そういう小さなことが、

自分の心の状況によっては

すごく悲しかったり

怒りが生まれたりしていまうこともある



それをおなじ立場の人に話して

その人も似たような経験があった場合、

話題は盛り上がり、

対「白人」への論議になってしまう時がある




犯罪や人権侵害のレベルではない

日常の小さな出来事において、

あれは差別感情から来る扱いだ、

って判断できないよ




自分がそう感じてしまったら

そうと思ってしまうもの



海外で生きていると

そんなこと普通すぎて

何も思わないというか


差別されてても

されてることに

気づかなかった、あはは


みたいな状態で

みんな強くへっちゃらに

生きているわけだけど、

(戦っている人もいる)




そういうこと、


正直考えたこともなかった私が

最近思うようになったので

脳内議論してみました