溶けてなくなる空気

↑ 岐阜の長良川と金華山を望むある日の休日



川辺を歩いて気持ちいいのとか


日差しが暑いけど風が冷たいのとか


舟が行き来する水面の波音とか


ふいに、せこ道から漁師姿の

お知り合いが出てきて会えて嬉しいとか



水辺で絵を描いている別の友達がいて

素敵とか


ペンキ塗りの手伝いに行く

また別の友達とすれ違って楽しいとか



このまち最高
この空気嬉しい


って感覚は
写真じゃあ伝わらないよなあ




わたしとこのまち、

わたしとこのまちで生きる人たち、


そこに今存在している「空気」は、

きっと今この瞬間のあとには溶けてなくなる。



時間とともに消えてまた別の空気が存在する。



数年たって戻ってきても

まだこの空気はあるのだろうか


否、きっと変わってしまう

なぜならみんなもこのまちも私も変わるから。




だけど今ここにある空気をとっておきたい

覚えておきたい

残しておきたい




だから人は絵に描いたり

写真に残したりするのかな




「表現すること」は

見えないものを見えるようにすること




だけど

どこまでいっても

見えないものを完全に見えるようにすることはできない


できないほうが美?




2019.04.20